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照恩寺住職によるブログてらすブログ

2019/1/21

Column

仏法は宗教を超えている。

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仏法は、そもそも宗教の枠を超えて存在している。前住職が法話で、そのようなことを話しているのを思い出しました。明治の初めに英語の流入によって新しく造られた「宗教」という言葉は、古来より日本人の精神を根本から育んでいた仏法(真実なるもの、ダルマ)の足枷になっていったのだと思います。私たちは、いつの間にか「宗教」の枠に納めようとしていたのですね。
ですから、お寺も宗教施設という限られた枠に囚われる必要がなかったのかもしれません。今も昔も変わらず、みなが集い、語り合い、安心できる空間がお寺にありました。家制度が終わりを迎え、個人主義となっても日本人の精神は土徳となって私たちを包んでくださっているのだと思います。そこには、ただ結びつけるだけのお寺としての努力がなかっただけではないのであろうか、そんなことを展示会にお越し下された若い方にふれ改めて思ったことです。寺院としての在り方に「これだ!」という答えがない今、私は私の在り方を模索していきたいと思います。
 
「そういえば、かれこれお寺とか神社に参ってないなぁ」と少しでも思ったならば、ふらっとお近くのお寺や神社に参ってみてはいかがでしょうか。無宗教だとか、信仰だとか、そんな屁理屈は置いておいて、初詣だけで一年を終えるのではなく、二詣、三詣とお参りしてみるのも、やっぱりオススメですよ。
 
ちなみに、今現在、照恩寺の門前に掲げています「いい話を聞いた、覚えてないけど。」のポスター。もちろん自虐的なんですが、実はこれが非常に真宗的なんですよ。安心できる世界が、この言葉にあります。ここを是非、お聴聞して味わってもらえれば照恩寺名利に尽きるというものです。

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ゆる~く 照恩寺 参ろう。

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