2026/10/26
Column
自分には、自分の事情がある。
譲れない思いも、言い分もある。
けれど、相手にもあるはずのそれが、私には見えなくなる。
振り返れば、相手を責めていたときほど、自分の正しさを疑うことはありませんでした。「あなたのため」と言いながら、私の思いどおりになってほしかった。そんなこともあります。
仏教が照らすのは、私には見えていなかった、私の姿です。
その姿を知らされるのは、心地よいことばかりではありません。それでも、自分の正しさを手放せないこの私を、見捨てないという阿弥陀如来の願いがある。
その願いを聞くところに、私の知らなかった、私の話が始まります。