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2019/12/11

Column

ふらっとお参りしませんか?

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照恩寺の看板には、寺号の他には何も載せていません。この極めてシンプルなデザインは、自由にお参りできる空間を表現しています。
 
  
今、社会では「サードプレイス」という言葉が注目を集めています。自宅と職場以外の第3のスペースという意味で、自らのアイデンティティを保つ、心の拠り所としての中立的空間をいいます。つまり、ストレスの多い現代社会において、リラックスできる居心地の良い場所、空間が求められているのです。

実は古来より、サードプレイスとしての役割を果たしてきたのがお寺でした。いつしかそのような機能は失われつつありますが、現代において、ふたたび見直される時期が訪れているのかもしれません。
そこで、お寺をサードプレイスに、との思いから照恩寺では、「ふらっとお参り」できる環境作りとして、ウェブサイトの開設、アートプロジェクト(次項参照)といった諸活動をスタートしました。
お陰様で、次第に関心のある方からのお問い合わせが増えてきました。ただ、その折によく尋ねられるのが「檀家制」というワードです。「檀家にならなくてはお参りできないのですか?」というお問い合わせが意外と多くあります。そこで改めて「檀家制」について少し触れておきたいと思います。

そもそも「檀家制」とは何でしょうか。まず、「檀家」の「檀」ですが、「布施」を意味するインドの言葉、ダーナの当て字「檀那」の略で、日本においては「仏法を庇護する者」として古くから「檀家」という言葉がありました。
それが江戸時代において制度として確立しました。幕府によるキリシタンの締め出しを端とし、宗教統制として仏教教団が統治体制の一翼を担うこととなったのです。具体的には、檀家が特定の寺院に所属して一切の宗教儀礼を任せる代わりに金銭的支援を行うという関係です。それが今の戸籍にあたる役割も担っていましたので、どこかの寺院に所属していなければ社会的地位を失うほど強力な関係でした。
そのような国家としての「檀家制」も明治になって撤廃され、その結果、戸籍の役割はなくなりましたが、それ以外の寺院と檀家の関係は今も残り続けているのが現状です。

では、照恩寺においての「檀家制」はどのようになっているのでしょうか。戦後に建てられたお寺というのが理由の一つかも知れませんが、実は初代住職から今まで「檀家制」を取り入れることはありませんでした。それは経済的発展よりも、お寺本来の形である法座活動を命題としてきたのが照恩寺の歴史だからです。「檀家制」にこだわらない照恩寺は全くフリーな関係で、法座や仏事(葬儀、法事等)などで皆様とつながってきました。ですから、「檀家にならなくても、ふらっとお参りできますよ」というのが照恩寺なのです。

これからは、ご自分に合ったお寺を選んでみてはいかがでしょうか。その中で「マイ箸」、「マイコップ」のように「マイ寺」という言葉ができればいいですね。サードプレイスとしての「マイ寺」、皆さまの人生とともにある「マイ寺」、『揺るぎない世界に出遇う空間』としての「マイ寺」を、ぜひ照恩寺をご縁に見つけてみてください。

最後に、宗派さえも看板に載せなったのは、家制度から個の時代への変化の中で、宗派の囚われで門戸を狭めるのは非常にもったいないと思ったからです。ですが宗派間においては、当然ながら教義、儀礼作法の違いがありますので、そういった点を大切にされる方は、一度お尋ねください。

2019年8月記

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